ペニ尻ン

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計画戦士なのに計画を雑に立てすぎてしまう

計画を立てることが好きですが、下手です。

長期的に取り組むべきことや大学でのレポート課題など、ある程度期限の分かっているタスクに対して、始める時期と終わりの時期を決めると安心します。なぜ安心するかというと、ゴールまでの道筋がなんとなく感覚としてつかめて、終わった未来を想像しやすいからです。私は「終わりが見えない」ということに果てしないストレスを感じてしまうので、ゴールを作るという作業は、自分のやる気を保つために重要になります。

私は、数時間ごとに区切ってスケジュールを立てるという作業を、高校生くらいから始めました。特に受験期などは先が見えず不安になることも多かったので、自分側で勝手にゴールを作ることによって、少し前が見えたような気分になって安心できました。また、小さなゴールに向かってひたすら思考停止で取り組めば良いだけなので、集中すべき事柄のみに脳を使うことができて集中力が上がったなという実感もありました。

ですが、このやり方は「途中で計画が狂う」という想定をしていないので、当たり前ですが、急に人から呼び出されたり、予想外のタスクが増えたりすると、その後全ての予定を考え直さなくてはいけません。なので、不確定の要素が自分や周囲に多い場合は、結局効率が悪いようにも思えます。

その反省を活かして、ここ数年では「タスクの大小に関わらず、とにかくスタートとゴールを決める」といったやり方でどうにかこなしています。これは計画が上手くいくかどうかは別として、先述したように、ゴールが見えないと不安が増しやる気を失うというデメリットを回避するために行なっています。

ここまでの話で気付いた人もいるかと思いますが、これは全て気分の話です。ゴールを作って終わった「気分」になったり、未来が見えたような「気分」になったりしているだけです。計画を立てるのが上手い人は、あらゆるトラブルによって計画の変更を余儀なくされた時のこと考慮して、余裕のある計画を立てていると思います。その時の安心を得るためではなく、目標達成のために計画を立てているので、計画にカウンセリング的な機能を求めている私とは動機が大きく異なります。そしてこの動機で計画を立てると、大概は雑な計画になります。雑な計画とは、自分の力量を客観視せずに、その時の気分で「ここまでに終わらせることができたら安心できるなぁ」という理由でゴールを作る計画を指します。

また、計画作成に自分の気分を委ねすぎると、それを作る段階での自分と、実行する時の自分とで精神状態に差があった時にめちゃくちゃ苦しみます。「なんとなく上手くいきそうだから、ゴールは少し早めにして他の作業を入れようかな!」とか、「今日は何もかも上手く進んだし、今後2週間は同じペースで行けそうだな!」などと過度に自分を信じて楽観視してしまう時があり、結果として、計画も上手くいかないし精神的にも追い詰められるという二重の苦しみを味わいます。

最近はこの苦しみが続いていて、なんで上手くいかないのかをずっと考えていたのですが、計画を立てて安心するとかしないとか以前に、そもそも私の精神状態を良い状態で維持することが必要なのだと分かりました。確かに物事を取り組むにあたって、取り組む本人の状態が良くなかったら、どんな良い計画を立てたところで上手くいかないですよね……一番大事なことを見落としていました……

 

計画戦士の方で悩んでいる方がいたら、一度自分のストレスや精神状態がどのくらいかを考えてみるのも良いかもしれないですという話です。泣