韓国BLのオタクとして、真っ先におすすめしたい漫画「根無しの木」のシーズン1が完結しました。
韓国BLに関しては有名作品をたしなむ程度で、海外サイトを通して直接読んだり、連載中にリアルタイムで追ったりはしていなかったのですが、この作品を通して「韓国BL」というジャンルそのものに魅了され、どっぷり浸かっています。
1部中盤から最終話まで、熱病のようにヒソ×テギョンに思いを馳せていましたし、今も熱病の熱は下がってないです。助けてください…。
※このブログは未読の方が読むことも想定していますが、情報を整理しつつシーズン1への想いを昇華させたいという超自己満足で書いています。ネタバレが含まれているのでご了承ください。
物語の面白さ、ヒソとテギョンの良さ
韓国BL漫画の泥沼・修羅場率はかなり高いことで有名ですが(経験則)、「根無しの木」も例に漏れず暗いです。どん詰まりです。愛が煮詰まってドロドロになっています。エロあり修羅場あり監禁あり歳の差ありです。
こうした劇薬のようなBLが、説得力のあるストーリーラインによって展開されるので本当に面白いです。BL漫画家の矜持のようなものを感じます。
攻めのヒソはいわゆる「狂気攻め」です。テギョンと出会う前は高校の屋上から飛び降りるフリをする「構ってちゃん」の一面がありました。出会ってからは病的なまでにテギョンを束縛し、試し行動を重ねています。時には命をかけることもありました。
しかし、彼の狂気はその原理がはっきりしているため、先天的に認知の歪んでいるサイコパスとは一線を画しています。ヒソは母親の死によって孤児になり、その後の辛い生活によって、本来受け取るべき愛情を受け取ることができませんでした。
そして、心に空いた穴をコントロールするには、ヒソはあまりにも若すぎたのだと思います。多感な時期に情緒を安定させることさえ難しいのに、苛烈な環境で育ったのなら、不安定になってしまうことは自然な成り行きでしょう。
結果として、ヒソはテギョンに過剰に執着する「狂気攻め」へと成長していきます。
一方、受けのテギョンはヒソと比較すると、他人からの愛や欲望を渇望していないようなキャラに見えます。孤児のヒソに対して匿名で長年支援をしていたし、それがヒソにバレても「あなたには関係ない」という毅然とした態度で一線を引き続けます。
こうしてテギョンは「子どもを支援する自立した大人」という印象が最初に強調されます。しかし、ストーリーが進むにつれて彼もヒソと同様に孤児であり、心に空洞があることが分かります。
ちなみに、真面目でクールなテギョンがヒソにめちゃめちゃのグズグズにされてるの、エッチすぎて気が触れます。見てはいけないものを見ている感じが、え、エロ過ぎる…狂う…(煩悩)
今まで孤独だったヒソにとって、自分を気にかけてくれたテギョンは特別な人間です。しかし、親切な行動とは裏腹に冷たいテギョンに対して葛藤を感じ、彼が隠したがるプライベートを暴き始めます。その過程でなんやかんやあって、テギョンに性的欲求を抱き、恋を自覚するのですが、ここで重要なのがヒソは愛情不足とはいえ、テギョンに親心を求めているわけではないということです。
この部分に、BLとしての趣があるなあと思います。萌えます。
また、ヒソが親の代わりを求めているなら、もっと違うアプローチをしたはずですし、性的な感情やドキドキする気持ちは生まれないはずです。ヒソ自身も言及しているように「テギョンを親と思ったことはなく、性的な対象として好き」な点は、この物語をボーイズラブたらしめている最も重要な点なのではないでしょうか。
こうしたドキドキBLシーン要素を取り入れたうえで、サスペンス要素を主軸として物語が展開されていきます。サスペンスの占める割合が多いですが、それが男たちの愛憎物語に帰結していて、めちゃくちゃしっかりBLをやってくれています。
それに、男が男を救おうと紆余曲折、粉骨砕身する物語は、BLの真骨頂なので…。(曲解)
対照的な手段で愛を稼ごうとするヒソ・テギョン/危うい共依存関係
「根無しの木」の面白ポイントとして、メインCPのヒソとテギョンの両者が、愛着障害のようなトラウマを抱えている点が挙げられます。慢性的な愛情不足によるメンタルの不安定さは、彼らの関係性の土台になっていると言えるでしょう。それが独特な共依存関係を形づくっています。
また、先ほど「テギョンもヒソと同様、心に空洞がある」と言いましたが、一見自立しているように見えるテギョンも、ヒステリックなヒソと同じく、明らかに愛を渇望しています。それがどんな種類の愛かは断定できませんが、「愛されたい」という気持ちがあることは確かです。そして、それが生育環境に由来することも、テギョンの過去を踏まえたら筋の通る考えかなぁ、と思っています。
私は個人的に、テギョンの不安定なメンタルと愛への欲求心を解剖することで、「なぜヒソの愛情を拒絶しないのか?」という問いへの答えが導けると思っています。
テギョンとヒソの想いは双方向ではないですし、最初はヒソのアプローチを相手にさえしていませんでした。ヒソの母親に借りがあるとはいえ、ヒソの要求を全て叶える必要もありません。身体の関係などもってのほかです。
つまり、テギョンの過剰な奉仕行為の裏には、彼の愛情不足と欲求があるのではないかということです。この論拠を強めるために、対照的なヒソの愛情表現と比較して整理していきます。
ヒソは愛を求めることを隠しません。むしろ分かりやすい方法で、テギョンに強くアピールしています。試し行動をしたり独占欲をむき出しにしたり、無理やり性的な関係を持とうとしたりします。これらの行動の倫理的是非は置いておくとして、愛を渇望していることは誰が見ても明らかです。
その反面、テギョンは自分が愛を渇望していても、表には出していません。誰にもそれをアピールしないし、何も求めません。それもそのはずで、テギョンは「奉仕することで愛を満たそうとしている」からです。
特に42話でヒソに約束を破られ目隠しされた時、「俺が何したって言うんだよ」「俺だって頑張ったのに」と涙を零しています。また、36話では「愛されるためには努力をするのが当たり前だ」というようなことも言っています。飢えてますね。愛に…
愛情不足のしんどさを痛いほど理解しているからこそ、テギョンはヒソに尽くします。誤解を恐れず言ってしまえば、テギョンは子ども時代の自分とヒソを重ねているようにも思えます。テギョンは既に大人なので過去には戻れませんが、子どものヒソを愛によって救い幸せにすることは可能です。この成功体験をすることで、テギョンは自分自身の過去を救済し、同時に愛を信じる気持ち(愛によって人を救えるという希望)を補強しているのではないでしょうか。少し逸脱した解釈にも思えますが、個人的にはこの説を支持しています。
とにかく、こうして比較してみると、二人が異なる手段で愛を渇望していることは明白です。手段自体は正反対ですが、だからこそ凸凹がハマるのでしょう。需要と供給が満たされるような形で、「求める」ヒソと「与える」テギョンは依存したのだと思います。結果として、恋人でも親子でもない妙な関係性が出来上がったのでしょう。
しかし、依存関係が深い反面、二人のパワーバランスが均衡ではないので、テギョンに限界が来た途端に、二人の関係は破綻することが考えられます。「与える人」は常に「求める人」の要求に応える必要があり、前者が機能不全に陥ってしまえば、後者が不安を爆発させて暴走してしまうからです。実際に48-50話でテギョンのメンタルが底を尽きて、ヒソを見捨てるような形で関係が限界を迎えましたが、遅かれ早かれ同じ結果にはなっていたと思います。つ、辛い…。
テギョンはヒソを愛していたのか?
このような依存関係に伴って、テギョンのヒソへの感情が恋愛的なそれか、家族愛的なそれかという部分も気になっています。
36話でヒソが母親のフリをした時に、テギョンは「愛されるための努力が報われるとは限らないし、この世とはそういうものだ。それでも、ヒソは何の努力もなしに享受してほしい」と言っています。(英語版では「ヒソに無条件に愛を与えられる、唯一の人にならせてくれ」的なセリフだったので、印象としてはこちらの方がgiverらしいなと感じて萌えました。)
この時点でテギョンは、彼なりにヒソを愛していたと思います。単に贖罪の感情ではなく、母親への借りを返すという目的だけでもなく、ヒソ個人に対して何らかの特別な感情を抱いていたと信じています。「君が好きだ」のセリフも、"I do like you"と強調されていたので、個人的には恋愛でも子どもへの愛おしさでもない別の愛情が、少しはあったのかなあと思っています。韓国語版は未読なので単なる邪推ですが…。
なので、事件がなければ先述したような関係性が比較的穏やかに続いて、監禁されるまでには至らず早くにハッピーエンドが迎えられたと思います。
でも、ヒソとテギョンは事件がなければ出会うことさえできなかったんですよね。出会いと引き換えに確約された地獄。あまりにも皮肉な現実です…。
少し話はズレますが、라포先生のQ&Aでは「もしお母さんが生きていたら二人は恋に落ちたのか?」という質問に、「もしお母さんが生きていたら、ヒソは今よりずっと陽気で友達もたくさんできたと思います。(略)その時テギョンに偶然出会ったとしても、恋に落ちたはずです。怖がらず率直なヒソがテギョンに一目惚れして直進ダッシュしたはずです。」「テギョンも先生が生きていたら、今よりずっとメンタルが健康だったはずなので、最初はヒソの幼さを相手にしないけど、大胆さと可愛さに負けてすぐ幸せな恋人になったはずです。」と答えています。
ヒソは事件がきっかけでテギョンに恋をしたのではなく、最初から好きになる運命だったんです。凄くないですか…神に定められた運命じゃないですか…どんな時代でも世界でも、ヒソはテギョンを好きになるんだ…と思うと、尊さが一層増します。
ヒソの一途さを感じれば感じるほど、現実の不条理さを思い出して切なくもなりますが。
ですが、例え双方向に矢印が向いていなかったとしても、ヒソとテギョンは運命の二人だという事は変わりません。関係がロマンチックであるかどうかは問題ではなく、どんな形であれ引力によって近づいてしまうことは、「運命」と形容して良いと思います。「似てない僕らは細い糸で繋がっている。よくある赤いやつじゃなく」ですよ…
尊い。
シーズン2はさらなる地獄にじわじわと進むのでしょうか。(라포先生はハッピーエンド好きを自称していますが、果たして…)
いずれにしろ楽しみです。